日本の理科系教育の問題点

日本の理科系教育にはアンバランスがあります。

たとえば、中学や高校で、女性や少数民族などの地位向上運動について十分に教えません。人間が、どのようにして差別と戦って来たのか、歴史上の地位向上運動はどのように進展していったのか等について、何十時間もかけて教えることはないのです。

しかし、二次方程式の解の公式や因数分解は十二分に教えます。演習問題を解かせてできるまで居残りまでさせるかもしれません。何時間どころか、おそらく何十時間も、二次方程式の解の公式を使って問題を解いたり、因数分解の演習問題を解いたりするでしょう。

中学生や高校生のときに、二次方程式の解の公式より大事なことが世の中にあることに気づいてしまうかもしれません。今の理科系教育では、気づいた人より、気づかない人の方が成績がよくなります。幸か不幸か気づいてしまえば、数学が苦痛になり、理系に進めなくなるでしょう。何でこんなに不毛なことをやらせるのかという気持ちが強くなるからです。苦痛なことを続けることはできません。これは、人間としては当然のことと言ってよいでしょう。気づいた人の方が、気づかない人より、優れているともいえるのです。

実際、社会に出ると、因数分解は多くの人にとって重要な問題ではありませんが、地位をどのように向上させるかは重要な問題です。2次方程式や因数分解を解くのに精通することは、世の中に出てみると、あまり役に立たないのです。

I.理科系教育は、社会的に無力な理系人間を作ろうとしている

1.理科系教育の偏り

 高校生の頃、二次方程式の解の公式は、すごく重要なことに思えました。しかし、それは間違っていました。

 社会に出れば、二次方程式の解の公式より重要なものは、たくさんあります。たとえば、以下のとおりです。

 (1) 女性や少数民族等の地位向上運動の歴史、障害、当初の無理解、苦しみなどへの知識。これは、理系の地位向上運動に通じる

 (2) 社会の仕組み。どうやって理系の人々の地位が決まっているか

 (3) 科学技術の社会に与える影響(日本の国益、世界の利益)

 二次方程式の解の公式は、暗記などしなくとも、本などで適宜調べればよいことでした。コンピュータに解の公式を入れておけば、暗記しなくとも、計算しなくとも、簡単に求めることができます。しかし、現在の理科系教育では、二次方程式の解の公式を暗記していない人は、問題が解けず、理系コースから脱落していきます。こんなばかげたことがあるでしょうか。

 二次方程式の解の公式を覚えていることは、学校教育では、上記(1)(2)(3)よりはるかに重要なのです。しかし、社会に出てからは、もちろん重要ではありません。

 科学技術については、理科の授業等で教えます。しかし、科学技術が社会に与える影響については習った覚えがありません。日本の国益を増大させるために科学技術が必要なことや、世界の利益に科学技術力がどのように貢献できるかについては習いませんでした。

 逆に社会の時間では、科学技術はあまり出てきませんでした。たとえば、歴史の年号を暗記しました。語呂合わせをして必死に暗記しました。インターネットで調べれば年号が簡単に分かる時代に、そんなことを暗記することが本当に重要なのでしょうか?

2.社会的に無力な理系人間を作る計画 

 社会的に無力な理系人間を大量に養成し、理系人間が地位向上に無関心で、もくもくと働いてくれたら日本の将来は安泰でしょうか。

 日本の理科系教育は、まさにそういう理系人間を作るような教育になっています。

 学校教育では、因数分解が何に役に立つのかは教えません。ただひたすら、因数分解をもくもくと解くことを要求します。それに成功した人だけが、理系への資格を与えられるのです。社会的な地位の向上運動に関心を持たず、もくもくと技術を極める理系人間を作り出すことが計画されたのです。

 因数分解なんて、社会に出たら役に立たないということに気づいた賢い人は、理系コースに苦痛を感じ、文系に行きます。中学や高校のときから、人間や社会に大きな関心を抱く人も文系に進みます。これらの人々から、やがて社会的に高い地位の人が輩出されます。

 因数分解をもくもくと解いた人の多くは、理系に進みます。自然と、理系に進んだ人々の間にも、そういう風潮が見られるようになります。すなわち、理系の人は、社会のことに関心を持たずに、もくもくと技術や研究をすればよいという風潮です。政治に関心を持つ理系を白眼視するような風潮が生まれていくのです。

 これは、理系の人々を社会的に無力にしてしまいます。科学技術立国にとって真に破壊的なことと言ってよいでしょう。

 理系の連帯や、理系の地位向上運動という言葉は学校教育にはないでしょう。その基礎となる、連帯の概念や、地位向上運動の歴史を、学校教育で十二分に習うことはないでしょう。因数分解や、二次方程式の解の公式は十二分に習うにもかかわらずです。一体、どちらが大切なのでしょうか?

 理系の連帯を聞いた理系の人が、「それは重要なのですか?」という質問をしました。これが、理系の地位向上の難しさを物語っています。

 理科の授業では、ニュートンの運動方程式、

 F=ma

を習います。演習問題も解くことになるでしょう。

 この方程式は、たしかに大事な方程式です。ニュートンの運動方程式の理解は、剛体の力学を学び、アインシュタインの相対性理論を学ぶにつれて深まっていくでしょう。簡単そうに見える方程式ですが、実は奥が深く、理系の人の方が、文系の人より深く理解できる場合が多いでしょう。

 しかし、学校教育では、社会運動の方程式、

 F=ma ここで、Fは社会的力、mは連帯の強さ、aは連帯の人数

を習いません。演習問題も出ないでしょう。

 この方程式は、たしかに大事な方程式です。簡単そうに見える方程式ですが、実は奥が深く、文系の人の方が、理系の人より、深く理解できる場合が多いでしょう。

 ニュートンの運動方程式について、文系の人が、「この方程式は重要なのですか?」と理系の人に質問したら、理系の人はどう思うでしょうか?

 その方程式は、力学的な現象の森羅万象に影響する極めて重要な方程式である、と答えるでしょう。

 「理系の連帯は重要なのですか?」という質問についても、同様です。

 連帯は、地位向上にとって極めて重要です。しかし、理科系教育では、連帯の意味を、ニュートンの運動方程式のようには教えません。学校教育全体でも、連帯について深く教えるということはないのではないでしょうか。

 もっとも、文系の人は、歴史や社会や人間の扱いなどについて、多くの場合、理系の人よりも多くの経験、知識を持っています。だから、連帯が重要であることをより深く理解できるのです。たとえば、連帯に失敗して植民地化されていった国の歴史を、理系よりも、より多く学ぶでしょう。

 連帯の理解には、おそらく無限の深さがあり、人類が永遠に到達し得ないものがあるのだと思います。おそらくアインシュタインの特殊相対性理論のように、理系の連帯には先の先があり、さらにその先は人類未踏の地になっており、限りない深みが広がっているのでしょう。

 連帯の概念を理解するのは困難を極めます。その奥深さを、理系の人は見逃してしまう危険があります。

 「理系の連帯は重要なのですか?」という質問は、社会的に無力な理系人間を作る計画が成功していることを示しています。

 連帯の深い意味を、理系が文系並に理解するのは困難でしょう。文系の中でも、女性の地位向上運動の研究者、少数民族の地位向上の研究者などや、政治学者などは、連帯の意味を一般の人よりも深く理解できるのかもしれません。

 しかし、理系が、「理系の連帯」の意味を、文系の60%程度理解できれば、理系の地位はかなり改善すると思われます。

II.理系は、地位向上運動なんか無視して、もくもくと技術を極めればよいのか

1.理系の職人気質の礼賛

 「理系は、地位向上運動なんかやらんでいい。もくもくと技術を極めるのが理系の道だ」という考えが、日本の理科系教育の根本にあります。

 これは、ある意味では日本の技術を支えました。職人気質です。この職人気質が、日本の製品を支えている面もあります。

 しかし、理系離れが進み、もうこの方法は限界に達しています。職人の技を伝承する人も少なくなってきています。

 日本の理科系教育のレールに乗って、因数分解が一体何に役に立つのかの説明もなく、もくもくと因数分解をさせるのは、社会的な地位に無頓着で、もくもくと技術を極める人を作りたいからでしょう。

 理系の人に、社会的に無力になってもらいたいし、社会的な地位が低くても不満を言わずに、もくもくと技術を極め、日本を豊かにするようになってほしいと願っている人がいるのです。

2.理系、理工系の地位向上

 同期入社は文系と理系が同じ人数でも、出世をして経営陣に残るのは、文系の人が圧倒的に多くなります。自然に人事を行なえば、文系が上になる傾向があります。理系は、物には通じているが、人や社会については、文系ほど通じていないからです。また、文系の方が、地位向上等に関心が高いからです。

 それにもかかわらず、理系の地位を向上させる意味は何でしょうか?それは、日本が科学技術により生き延びていかなければならない理系国家だからです。文系の地位が高ければ、日本国内はより円滑に治まって良い社会になるが、理系離れが生じ、日本自体が、国際競争に負けてしまうのです。それは、文系を含めた日本全体の利益にならないわけです。

 そこで、科学技術立国のために、自然にしていれば下がり続けていく理系の地位を、なんとか向上させ、理系離れを食い止めることになります。

 そのためには、理系の連帯が必要となるのです。

 しかし、理工系.comにおいて、理系の連帯は徐々に進んでいますが、なかなか広がっていかないものと感じています。

 最近では、日本の高い地位を独占している文系に、理系の地位が必要以上に下がらないように助けてもらう必要があると痛感しています。社会の地位の決定権を握っているのは文系の人々だからです。

 ある方から、経済学部、経営学部を理系にすれば、理系の地位は上がるという意見をいただきましたが、もっともなことだと思いました。これらの学部の卒業生は、政官財において高い地位に就くことが多いので、もし文系ではなく理系に分類することができれば、理系の地位向上にとって大きな力になるでしょう。以下、一般にいわれている理系を理系と呼び、経済学部、経営学部を含む理系を経済理系と呼ぶことにします。まずは、経済理系という言葉を広めていく必要があるでしょう。

 政治家は多くの場合、文系です。特に、閣僚クラスには、理系はほとんどいないようです。
 地位の高い高級官僚も多くの場合、文系です。特に、事務次官クラスには、理系はほとんどいないようです。
 企業の経営陣も、多くの場合文系です。特に、大企業の社長クラスには、理系はかなり少なくなります。 
 
 政官財のいずれをとっても、文系の人が圧倒的に多いのです。もっとも、経済理系の人は、政官財にかなり多いことになるでしょう。

 これらの人々が、社会をどうするかの決定を行ないます。理系は、自分の地位を自分で決めることが難しいのです。すなわち、理系の人の地位は、文系の人の決定にかかっているのです。
 
 なお、理系は、物には通じているが、人や社会については、文系ほど通じていないので、文系の方が地位が高くなる傾向があるといいました。しかし、国際的に見ると、これは必然とはいえません。実際に、政治家や官僚の多くが理系の国もあります。

 日本は、高い地位の人を文系が独占していますが、諸外国をみるとそうでもないのです。

 政官財の高い地位に、文系と同じとまではいかなくとも、理系が、ある程度は入れる社会が望ましいでしょう。

 日本の現状は、あまりにも少なすぎます。そして、それは日本の理科系教育、理工系教育が大きな一因となっているのです。

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